大江健三郎のエッセイ「厳粛な綱渡り」に 彼とJAZZとのかかわりが書かれた文章があります。パリに滞在中 バドパウエルを聴きに行って「老いたセイウチ…」と表現しています。 ぼくにとってバドパウエルは この大江健三郎のエッセイによって知ったようなもので 特別の思い入れがあります。エッセイの文章を転載しておきます。
【バド・パウエルがピアノの前に座ったとき それはまさに老いたるセイウチだった。バドパウエルが数曲演奏するあいだに クラブじゅうのだれもが 最初の緊張感をうしない。退屈し弛緩してしまったようだ。ぼくもまた 冷淡な気分になって バドパウエルを聴いていた。ところが 最後の一曲で バドパウエルはまったく非連続的に 唐突に 蘇ったのである。かれは すでにバドパウエル伝説となったもおぼしい。凄まじいばかりのスピードと明快さで ピアノから音楽をほとばしらせた。ああ、これがバド・パウエルだとぼくは納得し…】とあります。
行かなかったことに後悔しながら 悔しいので ひとりビールを飲み始めました。キリンの瓶ビールではなく 安物の缶です。

0 件のコメント:
コメントを投稿