難しい話題ですね。被災した人たちの生活は明らかに変わってしまったけれど、大事な機会を逃したこの国の生き方?は変わらなかったような気がします。で、自分は?と問われるとどうなのか。ただ呆然と画面を見ていただけなような気がします。変わらなかったものがなんなのか。
あんみんさんはじめまして…。コメントをいただいてありがとうございます。お話しのように難解な問題ですね。でも「答え」を見つけることが難しい問題を突きつけられたのが「あの震災」だったような気がします。変わらなかったものは「絆」だったでしょうか?? 変わってしまった=失ってしまった=ものは「縁」だったのかもしれません。それと、、ぼくは震災後テレビ報道を見続けていて、「われわれが生きている間に恢復させることが出来ない」ことを「われわれの同時代の人間がやってしまった」ことに気付かされたように思います。閑話休題。過ちを犯しその過ちを過ちと認めない時代が、戦後60年にもなるのにまだ続いていることに涙します。
戦後の急成長を支えた技術?の過信。おごりでしょうか。何が出来るのか?。何が出来ないのか。もっと小心でも良いのに。
あんみんさん同感です。少子化と高齢化を迎えなければならない時代に、今さら大量生産と大量消費社会なんて、あり得ないですよね。
60,70年と生きてきた「自分たち」?は一体何を学んできたのでしょうか。何を残そうとしてるのか。少しだけ真剣に考えてみようと…。
あんみんさんあんみんさんはどの年代の方なのか不明なので、これからお話しすることが分かっていただけるか? 不安ですが、、書きますね。ぼくは先の戦争を体験していない年代です。ですから、戦争中の空襲や悲惨さは記録写真や映像で知るだけです。同じように今の20代の方には、僕たちが体験してきたことは、もう多分? 体験することはないでしょう。ビートルズやローリングストーンズをリアルタイムで聴き、東大安田講堂の異様な風景、大学のロックアウト、路上に散らばる投石の残骸、新鮮な感性。毎日が刺激的な社会の変わりよう。今の社会と自分にぶつける怒り。不安定な心情、、、ぼくはそんな体験をしてきました。これが学んだことです。緊張感の中で学習させてもらいました。ぼくは次の世代にこんな時代があったことを残してあげたい思っています。怒りの握り拳はポケットの中に隠れてしまっていますが…。
同じ年代だと思いますが、私はそれらの外側におりました。前のコメントで60年、70年と書いたのは戦中・戦後生まれで実体験として戦争というものを経験していない世代、なおかつ、現在政治経済のトップ、もしくは責任有る地位にに立つ人間達という意味です。私の父親は戦争そのものに関わった(どの様な形であれ)人間です。家ではその事を一切語らなかった人間です。どんな思いでもそれで群れてしまう「集団」というものに、いつも驚異を感じてしまう自分がおります。たぶん、私のポケットの中にも…何に対する物なのかはわからないですが。
追:わたしも子を持つ親として責任有る地位に立っているのですが…
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8 件のコメント:
難しい話題ですね。被災した人たちの生活は明らかに変わってしまったけれど、大事な機会を逃したこの国の生き方?は変わらなかったような気がします。
で、自分は?と問われるとどうなのか。ただ呆然と画面を見ていただけなような気がします。
変わらなかったものがなんなのか。
あんみんさん
はじめまして…。コメントをいただいてありがとうございます。
お話しのように難解な問題ですね。でも「答え」を見つけることが難しい問題を突きつけられたのが「あの震災」だったような気がします。
変わらなかったものは「絆」だったでしょうか?? 変わってしまった=失ってしまった=ものは「縁」だったのかもしれません。それと、、ぼくは震災後テレビ報道を見続けていて、「われわれが生きている間に恢復させることが出来ない」ことを「われわれの同時代の人間がやってしまった」ことに気付かされたように思います。
閑話休題。過ちを犯しその過ちを過ちと認めない時代が、戦後60年にもなるのにまだ続いていることに涙します。
戦後の急成長を支えた技術?の過信。おごりでしょうか。何が出来るのか?。何が出来ないのか。もっと小心でも良いのに。
あんみんさん
同感です。少子化と高齢化を迎えなければならない時代に、今さら大量生産と大量消費社会なんて、あり得ないですよね。
60,70年と生きてきた「自分たち」?は
一体何を学んできたのでしょうか。
何を残そうとしてるのか。
少しだけ真剣に考えてみようと…。
あんみんさん
あんみんさんはどの年代の方なのか不明なので、これからお話しすることが分かっていただけるか? 不安ですが、、書きますね。
ぼくは先の戦争を体験していない年代です。ですから、戦争中の空襲や悲惨さは記録写真や映像で知るだけです。同じように今の20代の方には、僕たちが体験してきたことは、もう多分? 体験することはないでしょう。ビートルズやローリングストーンズをリアルタイムで聴き、東大安田講堂の異様な風景、大学のロックアウト、路上に散らばる投石の残骸、新鮮な感性。毎日が刺激的な社会の変わりよう。今の社会と自分にぶつける怒り。不安定な心情、、、ぼくはそんな体験をしてきました。これが学んだことです。緊張感の中で学習させてもらいました。ぼくは次の世代にこんな時代があったことを残してあげたい思っています。怒りの握り拳はポケットの中に隠れてしまっていますが…。
同じ年代だと思いますが、私はそれらの外側におりました。
前のコメントで60年、70年と書いたのは戦中・戦後生まれで実体験として戦争というものを経験していない世代、なおかつ、現在政治経済のトップ、もしくは責任有る地位にに立つ人間達という意味です。
私の父親は戦争そのものに関わった(どの様な形であれ)人間です。家ではその事を一切語らなかった人間です。
どんな思いでもそれで群れてしまう「集団」というものに、いつも驚異を感じてしまう自分がおります。
たぶん、私のポケットの中にも…何に対する物なのかはわからないですが。
追:わたしも子を持つ親として責任有る地位に立っているのですが…
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